屋久島ガイド旅楽のエコツアー

はじめまして。宮西敏也と申します。岐阜県出身の29歳です。9月上旬から、旅樂の研修生として日々忙しい毎日を送っております。現在の研修内容は、先輩ガイドに同行してガイディングの基礎を学ぶ事と、事務所での雑務などです。これから、新人ガイドがどんな活動をして、日々どんなことを感じているのかをわかりやすくお伝えしていければと思っています。よろしくお願いします!
  鹿児島レポート[2010年4月12日]

 所用で、実家に一時帰省中の宮西です。島外に出る機会がほとんどないので、こういう時こそ屋久島以外の事を知るいい機会です。という事で、岐阜に帰る途中に開聞岳に登ってきました。開聞岳は、鹿児島県の薩摩半島の南端に位置し、標高924m、所要時間は、往復でおよそ5時間で、日本百名山に数えられる名峰です。一人で登ると、いつも雨か曇りで、頂上からの眺めは期待できない宮西です。が、今日こそはと意気込んでみたものの、やはり、雨と曇りの一日で、頂上に着いた時は、風も強く、ある程度の景色は見えたのですが、遥か彼方までというわけにはいきませんでした。
 さて、今回の登山中に、疑問に思った事があったので、少し触れたいと思います。それは、ヘリ用の救助ポイント(最後の写真)がやけに多いなという事です。標高700m〜900mぐらいの間に、3つもポイント(第一、第二、第三ポイント)がありました。僕が登った感じでは、それほど負傷者が出る難コースとは思えなかったのですが、ヘリによる引き上げポイントが多いという事は、自力下山が不可能なほどの負傷者が多いのか、もしくは、軽症で自力下山が可能なのに、安易に救助を要請する登山者が多いのでしょうか。昨今の登山ブームや、携帯電話の普及から、安易に救助を要請する人が多いという事を、テレビか何かで見た事があります。軽症の方の救助に向かった為に、他の重傷者を助けられない問題が起きているという事でした。ここに書いた事は、指宿市に問い合わせをしたわけではなく、僕の推測なので、実際は、重傷者も、安易に救助要請をする人もほとんどないが、訓練の為、もしくは万が一の時の為に、3つのポイントが用意されているのかもしれません。でも、こういう問題を考えた時、僕は一ガイドとして、身の引き締まる思いがします。なぜなら、ガイドの仕事は、お客様に、ツアーを楽しんでいただくと同時に、怪我がなく、安全に下山していただく事が、最も重要な事の一つだからです。この一日は、お客様の安全管理(無事に下山していただく事)の重要さを改めて感じました。/宮西





  ガイド研修レポート 4ヶ月を振り返って [2010年2月26日]

冬になって、南の島、屋久島もやっぱり寒いんだと気づき始めた宮西です。

時間がたつのは早いもので、屋久島に来てからすでに、約4ヶ月がたちました。
今回は、今までの研修の内容や、その中で感じた事などを、時系列に添ってまとめてみたいと思います。

僕が今までの研修で一番感じた事、それは「ガイドという仕事の奥深さ」です。屋久島に来る前、ガイドの研修を始める前の僕は、ガイドという仕事は「お客様の前で、屋久島の歴史や動植物等の知識を伝え、山を案内する」というイメージをもっていました。これは間違いではないのですが、研修が進んでいくにつれて、もっと重要な事がたくさんあるという事に気付かされました。そんな事も、この文章の中で少しでもふれられればと思っています。


 研修は、まず「見る、聞く、感じる」というところから始まりました。具体的には、先輩ガイドのツアーに同行し、最後尾から、動植物等の知識や、自分が大切だなと思った事をメモ帳に書きながらついていくというものです。過去にガイド付きのツアーに参加した事のない僕にとっては、すべてが新鮮でした。特に最初の数回は自分も一お客様という設定で同行していたので、心の底から、「ほぉー」、「そうなんだー」、「これってこういう事だったんだ」、という驚きや、発見がありました。今思えば、これが知的好奇心を刺激するという事だったんだなと思えます。自分で実際にツアーの先頭に立ってお客様をご案内すると、お客様から「なるほどね」「これはすごいね」「へぇー」といった感嘆の言葉を引き出す事がいかに難しいかが分かります。Aという事を伝えたい、表現したいと思った時に「これはAです」というストレートな表現もあれば、婉曲的な表現もあれば、または話すという方法ではなく、それ以外の方法で感じてもらったりと、いろいろな方法があります。こういった事をさらっと出せるようになれば、より魅力的なツアーになると思うので、意識していきたいと思っています。

 2ヶ月目に入ると、ツアーの先頭に立ち、お客様の前で喋るという事を部分的にですが、やらせてもらえるようになりました。しかしこの月は、ツアーに同行したのは数回で、それ以外は、少しイレギュラーな経験をさせてもらいました。それは撮影コーディネートです。旅樂では、一般のお客様を山へお連れする以外に、各メディアの方からの依頼で、撮影スポットをご案内したり、撮影に専念できるように山で食事を作ったり、時には歩荷として機材を運んだりといった事も行っています。



 今回、僕が同行したのは、エイ出版社とドキュメンタリージャパン(映像製作会社)の撮影コーディネートです。出版社への撮影コーディネートは、屋久島には縄文杉以外の魅力もたくさんあるという事が1つのテーマだった為、屋久島の色々な場所、コースを複数回に分けて撮影し、幸運にも僕は、その全てに同行させてもらう事ができました。同行スケジュールは2泊3日(白谷雲水峡〜高塚小屋〜宮之浦岳〜鹿之沢小屋〜花山歩道入口)、2泊3日(淀川登山口〜石塚小屋〜宮之浦岳〜鹿之沢小屋〜永田歩道入口)、1泊2日(淀川登山口〜石塚小屋〜ヤクスギランド入口)です。映像製作会社への撮影コーディネートは、機材運び担当で、2泊3日(永田歩道〜鹿之沢小屋〜高塚小屋〜縄文杉〜荒川登山口)でした。








 ここでは、僕にとって、ガイドトレーニングにもなりましたがそれ以上に人間的にというか、人生的にというか、そういった部分で刺激を受け、とても勉強になりました。この撮影コーディネートで会わせていただいた方々は、今の僕では到底話もできないだろうというようなすごい方達だったのです。出版社の編集長、海外のコンクールで賞をとったカメラマン、音楽レーベルの部長、映画監督、世界中を飛び回るカメラマン等、第一線で活躍している方達ばかりで、コーディネート中に聞いた話は、心の底から「この人達は、僕では想像できないような努力をしてきたんだろうな」と思えるようなものばかりでした。



 3ヶ月目からは、最初から先頭を歩かせてもらえる事も増えてきました。この頃から少しずつですが、最初と比べ緊張もとれてきました。今思えば最初の頃は、一つの話をお客様の前で喋るのも、ガチガチに緊張して、覚えている内容もとんだり、お客様の目もまともに見れなかったりと、本当にお粗末なものでした。今現在も、緊張はかなりしているので、話す内容を忘れたり、途中で話がとまったり、意味がわからない事を喋ってしまったりする事も時々ありますが、こればかりは数をこなして慣れていくしかないと思います。

 4ヶ月目は、ツアーに出る回数が前月と比べかなり減りました。12月、1月、2月は屋久島のオフシーズンにあたり、雪も降るので、観光客の数もいっきに減る為です。しかし、雪が降るといっても、その時期にお客様をお連れする場合も多々あるので、先輩ガイドに同行し、雪道や氷ついた道で安全にお客様をご案内する為の方法を学びました。橋の上は雪がなくても霜がおりやすいので、すり足で歩く、またはスパイクを登山靴に装着する、下りの雪や氷は特に要注意などです。

 ガイドに必要な能力は「お客様の前で、屋久島の歴史や動植物等の知識を伝え、山を案内する」だけでなく、お客様の安全を確保するという事が、最も重要な事の一つです。ツアー中の捻挫や骨折は注意していても起きる事もあります。最悪の場合は、それ以上の事態も起こりえます。ツアーが終了し、宿まで安全にお送りするまでは、気を抜けないのです。そういった意味では、ガイドという仕事はお客様の命をお預かりする責任の重い仕事といえます。

 

 時々、お客様から「縄文杉は何回目ぐらいですか」と聞かれ「30回ぐらいです」と言うと「え!もうそんなに登ったんですか?」と驚かれます。確かに見方によっては、多いと思われるかもしれませんが、旅樂所属のガイドの中には縄文杉コースだけで、1000回を越えているガイドもいます。そう考えると、僕の回数なんて少ないものだなと思います。しかし、回数的には少ないながらも、屋久島に来た頃と較べ、体力的に成長したなとも思います。1回目の縄文杉コースの翌日は、筋肉痛になりましたが、今ではそれもなく、連続して縄文杉に登ると足の疲労感が少し残るぐらいです。さらに僕が一番体力的に成長したなと実感できる事は、重いザックを背負って山を登れるようになった事です。旅樂では1泊2日の縄文杉コースや縦走などの山中泊ツアーも行っているのですが、その場合、共同装備や食料を含め、ザックの重さが30kgぐらいになります。初回の1泊2日の縄文杉コースに同行した時は、1kmぐらい先輩ガイドのザックを背負わせてもらい歩きました。その時は正直言って「こんな重たい荷物もって山は無理!死ぬ!」って思いました。ガイド失格ですね(笑)。でも30kgのザックを背負って、平地ならともかく、足場が悪く、段差もある山道を歩こうと思うと、慣れていないと至難の業なのです。そんな僕も、1泊2日の縄文杉ツアーや、撮影コーディネートでの縦走などで、少しずつ重いザックを持てるようになりました。

 今思えば笑って話せますが、撮影コーディネートの中の一つで、歩荷として、撮影機材を運んだ時がありました。その時は、永田歩道という登山道から登り始めたのですが、ザックの重さは、自分の2泊3日分の装備の他に、テント、重厚なカメラの三脚、カメラのバッテリーを5、6個で、30kgを超えていたと思います。この重さもさることながら、永田歩道という登山道が強烈な道で、経験豊富な先輩ガイド達も「あの道はつらいよ」というぐらいの道でした。初日に、30kg超えのザックだけでも限界の僕が、縄文杉コースなど比較にならないぐらいの急な登りを、丸一日かけて登りました。今までは、重いザックを持つと、下りで、より膝に負担がかかり痛みがでていたのですが、この時ばかりは初日の上りで膝を痛めました。4ヶ月の中で一番体力的にボロボロになった時期です。

 今では20kg〜25kgぐらいのザックなら、普通に背負って山道を歩けるようになりました。30kgになると話す余裕はあまりないけど、なんとかギリギリいけるかなという感じです。体力的には、当面の目標として30kgのザックを軽く背負って歩けるようになる事が目標です。

 長いようで、過ぎてしまえばあっという間だった4ヶ月ですが、今までで感じた事は「ガイドは動植物の話をしていればいい」わけではないという事です。ある意味で、ガイド経験はなし、過去にガイド付きのツアーに参加した事もない僕にとっては、ガイドという仕事は「お客様の前で、屋久島の歴史や動植物等の知識を伝え、山を案内する」というイメージしかもっていなくても仕方のない事なのかもしれません。屋久島に来る前に、ガイドの世界の事は自分なりに調べたつもりだったのですが・・・。


 しかし今ガイドの世界に入って初めて「ガイドという仕事の奥深さ」を実感しています。ただ何も考えず歴史や動植物のをするのではなく、そこには様々なテクニックがある事、お客様の安全確保には最善の注意を払う事、これ以外にも、ここで触れられない事もあります。こういった事が出来るようになって初めて、プロのガイドと呼ばれるのだと思います。今までさんざん「ガイドは奥深い、話すだけじゃない」と言ってきましたが、詰まるところ、現時点で未熟な僕が思う最も重要な事は、一日のツアーが終了した時に、お客様から「今日は本当に楽しかった」「あなたにガイドしてもらって良かった」「屋久島が好きになった」「また次来た時もあなたにお願いしたい」という言葉が頂ける能力、これに尽きるんじゃないかと思います。当たり前と言えば当たり前です。これは顧客満足度という観点から見れば、どんな仕事においても言える事だからです。でも当たり前の事を当たり前に出来る事って簡単じゃないと思います。これからも、こういった言葉をお客様から頂けるようなガイドになる事を目標に頑張っていきたいと思っています。
  撮影コーディネート[2010年2月22日]

小学館発行のアウトドア雑誌「BE-PAL・増刊号」の撮影コーディネートに同行してきました。内容は、アウトドアな女性向けに屋久島を紹介するという企画で、屋久島のおしゃれなカフェや、パワースポット、手軽にトレッキングが出来るコースなど、いろいろな場所をまわりました。撮影日が2日間で、その間に出来るだけたくさんの場所を撮影したいということだったので、移動しては撮る、撮ったらすぐ移動という感じで、コーディネートする側にとっては、事前の打ち合わせと当日の段取り、そして現場での臨機応変な対応が大切だなと思いました。そんな中での僕の仕事といえば、マウンテンバイクを車に積んで、撮影隊に同行し、必要な時にすぐにそれを用意するというものでした。
こういう経験をさせてもらうと、ガイドは屋久島の自然や、歴史のことだけでなく、地元の様々な特産品、撮影に使える洒落たお店、少しマイナーだけどおすすめの観光スポットなど屋久島という地方のすべてに精通していないといけないと感じました。そう思うと、仕事の日だけでなく、休みの日に島の中でどこかへ行くプライベートな時間も仕事に繋がっているんだなと思います。
/宮西  旅樂撮影コーディネートについて詳しくはこちら





  冬山トレーニング[2010年2月11日]

実家から屋久島に戻り、冬山トレーニング中の宮西です。
この時期は、山で雪が降ることなどから、屋久島を訪れる観光客はほとんどいません。そのため、屋久島のガイドはこれを利用して、各自の時間を過ごします。僕はと言えば、冬山トレーニングの真っ最中で、今まで登りたくても登れなかった山、これは登っておかなければという山を登っています。ということで、今回は愛子岳という山に登ってきました。愛子岳は、標高1235m、所要時間は往復でおよそ7時間、急な登りや、ロープを使って登る場所もある為、登山初心者の方には少し厳しいかなといった感じの山です。しかし、この山は世界遺産エリアに入っている山でもあるので、厳しい反面、登り応え、見応えのある山でもあります。道中は、植物の垂直分布(標高によって植生が変化する)が見れますし、頂上に着くと天気が良ければ、360度視界がひらけ、東には里や太平洋が見え(写真上段)、西には奥岳(里から見えない山の総称)(写真中段)が見えます。今回も天気があまり良くなかったので、太平洋もあまり見えず、奥岳も見えず、でしたが・・・。最近は連敗続きの宮西ですが、次に登る山は視界良好でありますように!(これが屋久島らしさとも言えますが。屋久島で山へ登られる方は、この屋久島らしさを楽しむつもりでお越し下さい(笑))最後の写真ぐらいは見やすいものをということで、当日の朝、愛子橋という橋から撮影した愛子岳です。写真中央右手のとがった山が愛子岳です。/宮西





  岐阜レポート[2010年2月22日]

「結(ゆい)」の心 〜白川郷合掌造りから〜

雪道を車で走っていると、なぜかブレーキを踏んでスリップを楽しんでしまう宮西です。
せっかく実家の岐阜にいるので、岐阜でしか出来ない事をしようと思い、岐阜県の白川村にある白川郷合掌造り集落に行ってきました。1995年に世界文化遺産に登録された集落で、下の写真のように、雪の重みに耐える急勾配の屋根をもった家の造りを合掌造りと呼ぶそうです。地元岐阜にあるということで、存在は昔から知っていたもののなぜか、たいしたことないだろうと高をくくって敬遠していた僕ですが、今回訪れてみて、予想外の、驚きと感動の連続でした。合掌造りは、外から見るとただ急勾配の屋根にして作っただけのように見えますが、中から見ると先人達の知恵が詰まった素晴しいものだという事がわかります。真っ黒にすすこけた柱や梁(写真)は、年月によるものではなく、一階にあるいろりから家全体を煙でいぶし、防虫、防腐作用を持たせたもののようで、樹齢300年という巨大な松の梁が100年以上たった今でも現役で合掌造りを支えていました。萱葺き(かやぶき)の屋根を支える木は、ねそと呼ばれる1400ヵ所の結び目(写真)で出来ており、どこかがきしんでも全体としてはバランスを保ち、ゆがみが自然に収まってゆくそうです。こういった先人達の知恵もさることながら、合掌造りは「結(ゆい)」によって造られ、そして支えられてきたということにえらく感銘を受けました。「結」とは村人相互の助け合いの精神で、昔は巨大な萱葺きの屋根(大きい合掌造りは五階建てです)を葺き替える際に、村人総出で作業したそうです。しかし、時代の流れなのか、近年は「結」の精神も廃れ、萱の葺き替えは村人の手ではなく外部委託が主だったようです。そこで、「結」の心を復活させ、次代につなごうという事で、2001年に全国からのボランティアも含め500人以上の協力によって巨大な大屋根が葺きかえられました。写真をお見せできないのが残念ですが、屋根の片側に120人以上が乗り、バケツリレー方式で萱を下から渡して葺くかなり大掛かりな作業で、NHKドキュメントで特集されたり、海外のメディアにも「結」の精神と共にとりあげられたようです。「結」とは、一人では出来ない事をみんなでやること、助け合いの精神、言い換えれば、人に対する思いやり、人のやさしさだと思います。文明の発展とともに人間関係が希薄になったと言われますが、白川村の「結」の心は、人と人とのつながりの大切さ、人に対する思いやりの大切さを、僕に再認識させてくれました。自分の心を豊かにしてくれる何か、それは割と身近なところにあるのかもしれません。その何かを感じ取れる心を常に用意できたらなぁと思います







  長野レポート[2010年1月28日]

引き続き、実家の岐阜で慌ただしく動いている宮西です。
先日、島外研修という事で、長野県軽井沢にあるピッキオ(picchio)という団体のエコツアーに参加してきました。僕が参加したのは「野鳥の森ネイチャーウォッチング」というもので、軽井沢の森を歩き、森の生き物(主に野鳥)を観察し、自然の不思議を感じようというツアーです。このツアーで、東さんという方にガイドをしていただいたのですが、とても魅力的なガイドさんでした(写真)。笑顔が印象的で、ツアー中、終始こちらから何でも気軽に質問してしまうような、そんな方でした。僕の目的は、当然の事ながら野鳥の観察をしに行ったわけではなく、いちガイドとして、少しでも自らの成長の糧になるものが得られればと思って参加したわけで、結果として、とても勉強になった一日でした。また、屋久島で屋久島のガイドと接するだけでなく、こうして島外のガイドと接する機会、それは自分の中に新しい風を吹き込むいい機会だな、とも思えた一日でした。/宮西






  東京レポート[2010年1月17日]

東京レポート「知ることから始まる」〜高尾山から〜
実家に帰省中の宮西です。
先日、所用で東京に行ってきました。せっかく東京まで行ったので、東京で有名?な高尾山に登ってきました。高尾山は標高599M、総距離3.8KM(1号路)、所要時間は往復でおよそ3時間(1号路)、気軽に登山が出来る山といった感じでした。休日に登ったという事もあり、登山口も、道中も、山頂も人でいっぱいでした。では、ここで豆知識を1つ。年間登山者数世界一の山はどこかご存知ですか??答えは、富士山でも、エベレストでもなく、高尾山で、260万人だそうです。ちなみに、近年登山者数の増加が問題となっている屋久島は、年間での縄文杉登山者数は約9万3千人(2008年調べ)です。比較にならないですね(笑)。
登山中に、この登山者数に関連して気付いた点があったので少しだけ触れたいと思います。それは登山者数増加によるオーバーユース(過剰利用)です。オーバーユースには、ゴミの増加、水質汚染、山トイレなど様々な問題がありますが、僕がすぐ気付いたのが、登山道のオーバーユースです。これは、多くの人が登山道を歩く事によって起こる拡幅や植生破壊です(写真)。登山者数が増加すると、上りの人と下りの人が同時に道を歩こうとする事や、後からの無理な追い越し、これ以外にも、雨が降って出来たぬかるみを避けようとしたりなど、様々な要因によって道の拡幅が起こります。こういった事は屋久島でも問題になっており、100%効く特効薬のようなものはありませんが、登山者の意識次第で改善される部分はかなり多いと思います。とは言え、こんな事をえらそうに言っている僕も半年前ならわき道を歩いていたでしょう。こういう問題がある、という事を知ってさえいれば、多少道がぬかるんでいても、人が多くて同時にすれ違いが出来ないとしても、登山道のわきを歩く事は止めようと思えるかもしれません。「知ることから始まる」、使い古された言葉ですが、これから登山を始めようという方、登山経験者だけど知らなかったという方、是非、僕も含め気を付けていきたいものです。/宮西







  テクニカルロープレスキュー[2009年12月10日]

先月の忙しい日々も一段落し、最近になって少しだけ仕事に余裕がでてきました宮西です。
先日、RESCUE 3 Japanという団体が主催するテクニカルロープレスキュー・テクニシャンコースという講座を受講してきました。このコースは峡谷や崖、ビルや鉄塔など、足場が不安定、かつ高低差がある場所で、ロープを使用した組織的レスキュー活動を行う際に必要となる知識や技術、安全確保などを3日間で学ぼうというものです。主に警察官、消防士、森林警備隊、山岳救助隊などがこのコースを受講し、現場での活動に活かしています。
具体的な3日間の受講内容は、初日は主に座学でレスキュー哲学、道具の構造と特性、ロープの結び方、支点の作成など、2日目は終日屋外で、アンカー(支点)作成の実地、高所からの降下と上昇、システムの切り替えなど、最終日はフレーム(三脚)を使用しての降下、上昇、ペーパーテストなどです。こうやって受講内容を文章で書くと何をやっているのかイメージしづらいですが、わかりやすく説明すると、要救助者(けが人)が足場の不安定な崖にいて、そこに救助チームが駆けつけ、支点となる木や岩を決め、そこにロープを結び、必要なら各種道具を取り付け、引き上げシステムを作成し、救助者がロープをつたって要救助者を助けに行くということを3日間みっちりとやりました。でも一見すると、ガイド業とロープレスキューは、あまり関係がないのでは?と思われる方もいるかもしれません。確かにこのコースの内容を実際にガイド業で、屋久島の山で活かせるかといえば、あまりその機会はないかもしれません。ガイドをする際に救助に必要な道具一式を毎回もって行くのは難しいですし、ガイド中のケガの多くは、膝の故障や捻挫、骨折なので要救助者をどこかから引き上げるというよりは、ケガ人を、狭く急な山道からどうやって登山口まで早く安全に運ぶかが問題となるのです。では、今回の受講内容が無駄なのかというと、そうではありません。屋久島は雨が多いので、登山道にかかる沢が増水して、行きは渡れても帰りは水かさが増し、渡れないということがあります。そのような場合に沢にロープを渡す際は、ロープの知識や縛り方、どの木や岩を支点にするかなどは現場で使えます。また、沢登りでは、今回のロープワークは活きてくるかもしれません。いずれにせよ、今回のテクニカルロープレスキューを受講できた事により、自分に何が足りないのか、今後どういったロープワークを習得しなければならないのかが確認できました。
最後に今回の受講風景です。
上段写真は木に支点を作成しているところ、下段写真は、フレームを使用して、奥の崖に要救助者を助けに行くところです。





  はじめまして!宮西です。[2009年9月23日]

はじめまして。宮西敏也と申します。岐阜県出身の29歳です。9月上旬から、旅樂の研修生として日々忙しい毎日を送っております。現在の研修内容は、先輩ガイドに同行してガイディングの基礎を学ぶ事と、事務所での雑務などです。これから、新人ガイドがどんな活動をして、日々どんなことを感じているのかをわかりやすくお伝えしていければと思っています。よろしくお願いします!
では、早速ですが、昨日は旅樂代表であり、僕の師匠でもある田平さんに同行し、縄文杉コースへ行ってきました。正確には、田平さんが一昨日に7名のお客様とともに一泊縄文杉コースに出発し、そのグループが一泊して帰る途中に、僕が一人で登山口を出発し合流するというものです。合流する前に、時間があったので、縄文杉ルートから、寄り道をして白谷雲水峡の太鼓岩というところに登ってきました。この縄文杉ルートから白谷雲水峡へ至る道は、里から白谷雲水峡を通り、縄文杉コースのトロッコ道までつながる楠川歩道という道で、昔の人が伐採した屋久杉を背中に背負って運ぶ重要なルートだったようです。この日は天気が良く、朝早いこともありお客さんも少なかったので、太鼓岩での眺めは最高でした。





正面右手に見える二つのなだらかなコブのある山が九州最高峰の宮之浦岳です。天気が悪いとガスがかかっていることも多く、岩から数メートル先しか見えないこともあるのですが、運が良かったです。太鼓岩をあとにし、楠川歩道を下る途中に森の隙間を縫うように、朝日が射し込んでいました。





 




天から射し込む光の道のようです。屋久島の森では、天気が良ければこういった風景は至るところで見られます。ここに霧が加わるととても幻想的なんです。まだまだ写真の撮り方が未熟で、こういった美しさをうまく切り取ることが出来ませんが、これから写真の技術もどんどん勉強して、より美しさをお伝え出来るようにがんばります!









旅樂には堀江さんという素晴らしい写真を撮るガイドもいます。屋久島の四季の風景がアップされているので是非ご覧ください。→こちら
僕も堀江さんの写真技術に少しでも近づけるようにがんばります

これから、定期的にスタッフレポートを更新していきます。僕は日々の記録や、日記をつける事が、苦手ですが、更新が滞ることのないようにしたいと思います。最後に、今は初めての事ばかりで大変な時もありますが、周りの方々にも恵まれ、毎日が本当に楽しく、充実しています。魅力あるガイドになれるようにがんばりますので、今後ともよろしくお願い致します。/宮西

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